HETAREDREAM

夢のあるヘタレが世界で活躍する起業家になるまでの物語

第六話 嵐の後の静けさ

怒涛の一週間だった。何故、この2週間更新出来ていなかったのか。そう、それは今ホームレスだからである。

ホープレスにならなければ、生きていけると思っていた。San Franciscoの家賃は一ヶ月約12万円。2週間宿無しを経験するだけで、なんと6万円ものバックが返ってくるのだ。しかし、先日体調を壊したため、明日から宿に戻る決意をした。こんなヘタレを泊めさせてくれた皆さんには本当に感謝しております。

それでは、本題に戻ろう。この一週間、一体何が起こっていたのか。

 

11月3日朝

インターンシップ合格】

苦労した結果、11月3日に漸くインターンシップ(ボランティア)を手に入れた。日本からアメリカに進出する起業のローカライズを行うマーケティング会社でプログラマーとして働く。何故、マーケティング会社のプログラマー職をわざわざ選んだかというと、プログラミングを利用して、マーケティング業務を改善したいからである。今主に書いているのは、crunchbaseのAPIから取得した情報をdc.jsで可視化するというプログラム。これは、明日から解説していく。

11月3日夜

【誕生日】

生まれて初めてのサプライズパーティー。何も知らなかった僕は、日本の親友、家族、仲間から送られたビデオレターに心打たれた後、目の前を布で覆われ、手錠をかけられ、車へと乗せれれた。イヤホンで耳も塞がれたため、全く五感がつかえない。そして、到着した場所はSan FranciscoのPier39だった。夜の8時頃の海岸沿いは暗く、寒い。海外のオットセイに見守られながら、与えられた試練は23分間に23人からのフリーキスを受けること。見ている皆は、楽しくても、やられるこっちはシンドい。しかし、逃げ道はなかった。JUST DO IT。ノリの良いアメリカ人から大量のフリーキスを受け無事チャレンジ終了。(そのうちの7割は大柄の男性から。ゲイの街SF天晴。)黒光りするホットドックみたいな豪華なフォルムに身体を包まれて、帰宅。イベントディレクターである親友だーにゃと飲み明かし、次の日の授業に遅刻することで幕を閉じた。

 

11月4日

授業後、初出勤日。説明を受けるだけの予定が、カメラが趣味であると伝えると、プログラマーであるはずのヘタレは急遽、イベントのカメラマンへと変貌する。なんでもできる器用貧乏は、果たして起業家に向いているのだろうか。ピッチを最前列で撮影しながら思うことは、ピッチアップ上の起業家はアスリートに似ているということだ。きっと皆、各々が最高のビジネスを持ってきている。ただ、それをわずか5分で投資家に伝えなければならない。その5分間に伝える熱意、選択する言葉。一秒一秒が勝負である。これは4年間の集大成を2時間の試合に詰め込むアスリートに似通った世界である。なんて、ふと感じた。だって5分じゃ何にもわからないもの。人と情熱以外は。

 

11月5日

この日もまた、JAPAN NIGHTというSan Franciscoの大規模なイベントのお手伝い。プログラミングを書けないものの、この二日間は割りきって働く。イベントだって、起業だって、プログラミングだって設計である。事前準備、事前思考が全て。この日、やけに気になったのは椅子の配置だ。事前の配置図が無いために、椅子を感覚で並べる。後ろから並べるから、結局また前から並べ直すことに成る。そして、中心点を設けていなからまた左右をずらすことに成る。事前準備と段取りがなければ、物事は綺麗に進まない。所詮、椅子。されど、椅子。修正が効くものだからいいものの、此れがもっと大掛かりなものであればと考えると、ゾッとした。事前準備を怠らない。

 

11月6日

イケメンタッキーたちとこの日も宅飲み。デザイナーが腐るとアーティストになる。建築家であるかれば、人の意見に耳を傾けた問題解決でなければ、それは唯の一人よがりだという。だから、人のためにものを作るデザイナーは一人よがりなアーティストにはなってはいけないと。此れには賛否両論。鳥山明大場つぐみになるかである。

 

とにかく、明日からまた一人暮らしの家へと戻る。そして、マーケティング業務を改善するプログラムの開発に力を入れる。さて、そろそろ留学折り返し地点。後半も走らなくては。

 

BE BLAVE AND RUN FAST!

アデュー

 

ヘタレ